現代ヨーガアシュラム・赤根彰子 / インドミステリージャーニー・ラジャスターン砂漠の旅

インドミステリージャーニー / ラジャスターン砂漠の旅


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ラジャスターン・砂漠の旅・1

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 12月22日(Wednesday)
朝4:30起床。20004年暖冬の今年にしては、やっと冬らしい朝。天気はくもり。私は冬の寒い早朝が好きだ。シャワーをあびて瞑想する。
 2004年、この部屋での最後のYoga。6:25AMに家を出て、6:33AMに京王新線に乗る。今年はYogaのクラスをたくさん行った。でも忙しいという感じはなかった。淡々とクラスを行い、休みは静かに過ごした。家をきれいにそうじし、庭作りに励み、たくさんの花の種をまいた。花を育てる静かな喜びが常にあった。昨日で今年のYogaクラスが終了し、病気もせず、休まず、クラスを終えることが出来て、ホッとしている。

 7:24AM 日暮里発の京成スカイライナーに乗る。時刻通りのスムーズな展開。旅は特にインドの旅のしたくはeasy(簡単)ではないけれど、それでも楽しい。計画を企てる所から旅は始っている。夏の終りに航空券を買ったので、旅はそこから始っていた。南インドに行こうか。西インドに行こうか。その決断が、選択が運命を左右することになるとは、その時は知る由もなかった。

果たして人の運命とは.......

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ラジャスターン・砂漠の旅・2

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 2004年12月に、ガイドブックを読み、西インドに行くことに決めた。正確に言うと北西インド・RAJASTHAN(ラージャスタン州)。旅は行った感じで風まかせ。風はどんな風に吹くのだろう。砂漠の風。世俗の風に巻き込まれないように、まずはお祈りしておこう。

 正直に言うと、インドに行くことは、気が重い部分もある。過酷なこともある。バスでの8時間の移動が続くと、体力の限界だ。私は、今、いったい、どのくらい体力があるのだろう。試されると思う。とりあえず空港で、飛行機の離着陸を眺めながらの朝食が楽しみ。
 荷物を預けてしまえば、旅の荷物から解放される。人はどうして荷物を持つのか。いわゆるそれは自己防衛ですね。いつか、まったく何の荷物も持たずに旅に出ることが出来る人になりたい。それには、もう少し修行が必要のようである。
 一人で旅立つことには、全然不安がない。むしろ楽々。人生は思うように流れている。束縛もなくマイペース。雲の合間に青空が見えて来た。あの空を飛んで行くのだなぁと思う。この世はスペース(空間)ですね。スペースを移動して行く。

 8:12AMに成田第二ターミナルに着く。成田はかなりの混雑で、長い列に並ぶこと2回。レストランで、ゆったり飛行機の離着陸を眺めながら、ブレックファーストをとろうと楽しみにしていたのに、断念。
 すぐに搭乗手続き、出国手続きになり、もうすでに10:00AM。カフェテリアでは、ブレックファーストメニューも終了し、ベジタリアンメニューもないので、断食。ジャスミン緑茶(150円)のペットボトルだけ持って、どうやらお腹ペコペコの出発になりそう。

 この旅が、その後も断食状態が何度も続くとは、その時は予想もしていなかった。

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ラジャスターン・砂漠の旅・3

 10:15AMに搭乗手続き。10:45AMに離陸。飛行機内は満席状態。飛行機内ではヒンディー語の勉強をする予定。荷物を少なくしたかったにもかかわらず、ヒンディー語の本を入れたのだから、勉強しないと後悔しますよ。しばらくヒンディー語を使っていなかったから、ウォーミングアップが必要。勉強していると10時間の空の旅もあっという間だし、有意義。空の上で勉強なんてとってもステキ。出来れば、インド人が隣に座るといいのだけれど。希望は物静かなインテリ。私がヒンディー語を勉強していると、さりげなく教えてくれるとか。

 しかしこれはタイ航空なのだ。機内には日本人とタイ人しかいない。私の隣は日本人。エア・インディアだと、飛行機の中は、すでにインドの臭い。タイ航空は無臭で、フライトアテンダントはフレンドリーでやさしい。インド人は、つっけんどんだから、なんかタイ人にホッとする私。緊張感のない状態。

 私はさっそくヒンディー語の勉強を開始。離陸に気づかず、テーブルを使って勉強していると、フライトアテンダントが、やさしく注意してくれる。離陸の時はテーブルをもとの位置に戻すようにと。ヴェジタリアンミール(菜食)の確認もとてもソフト。タイ航空の印象とてもgoodです。
 今、通路を若い男性のフライトアテンダントが急いで通ったその時、風がおこり、タイ米の香りがした。これがタイの臭いだ。あぁ、バンコクに降り立つのが楽しみ。その前に機内食のタイ料理が楽しみ。お腹はペコペコ状態。

 11:00AM、ナプキンとおかきが配られる。TABI OKAKI(Mixed Rice Crackers)と書いてあって、これは日本のおかきのようだけれど、柿の種が、とても辛い。やはりタイ風ですか?
 オレンジジュースと辛ーいおかきを食べてホッと一息。機内のテレビで、Discover Channelのインド・タージマハールとラール・キラーについての映像を流している。

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ラジャスターン・砂漠の旅・4

 とうとうランチの時間。ベジタリアンの人は優先的に配られる。内容は期待したタイ料理ではなく、ゆでた野菜とパンとフルーツ2コとサラダだった。マクロヴィオティック(玄米正食)では、冬は熱帯でとれる果物や、トマト、キュウリ、レタスなどの夏野菜のサラダは食べないので(つまり旬のものを食べる)、私はゆで野菜とパン1枚を頂いた。

 皆の食事が配られると、ビーフのにおいがした。インド人は、ビーフを食べないから(インドのヒンドゥー教徒にとって牛は神様なので『ヒンドゥー教徒以外のインド人はビーフを食べる人ももちろんいる』」
その状況はつらいかもしれない。インド人の乗客が少ないのは、そのせいだろうか。

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 少林寺のビデオが流れる。Dharma(達磨/だるま)大師が中国に渡り、禅を伝える。達磨大師は南インドの王子だった。Dharmaはインド古代語・サンスクリット語で「法・教え」の意味。達磨大師はインド人だった。5・6世紀頃の人で、中国(シナ)に渡り、禅の奥義を教えた。中国(シナ)の禅宗の始祖である。面壁座禅(壁に向って座禅すること)すること9年。その奥義を極めたと伝えられている。その時、体の訓練、鍛錬として、インドでのエクササイズ・カラリパヤット(インドの武術)を禅とともに伝えたとされる。それが少林寺拳法になったというのである。
 つまり、インド人の菩提達磨(ぼだいだるま/インド名・ボーディ・ダルマ)が、中国宗山・少林寺に禅とともに拳法を伝えたとされる興味深いビデオであった。 合掌。

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ラジャスターン・砂漠の旅・5

 6時間半のフライトで成田からタイ・バンコックへ。トランジットで2時間。飛行場でタイ料理を食べようと思ったけれど、ヴェジタリアンミールがなかったので断念。タイ経由にした意味がなかった...ということで、次なるフライト(バンコック → デリー)ヘ。

 搭乗時刻は30分遅れ。座席に着いてからも、20人の乗客がまだ搭乗していないというアナウンス。きっとインド人に違いない。1人や2人ならわかるけれど、20人というのは、多過ぎはしませんか?
 私の隣の席は空席。インド人もいっぱい乗っているので、今度の機内食(ヴェジタリアンミール)は、期待できそう。
 すごいお金持ちそうな初老のインド人女性発見。ルイ・ヴィトンのカラフルな色のバックを持って、スチュワーデスの急いで席に着くようにという指示も聞かず、マイペースに行動。今やインド人もルイ・ヴィトンのバックを持っているのかと、驚いたけれど、よく見ると、それは似たような偽物バックだった。

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 私の席は空席のまま、飛行機は離陸準備。けれど、なぜか飛行機はバックしている。窓の外は夕方。TG315。4時間50分のフライトでデリーへ。なんだか、のろのろバックで動いているけれど、飛ぶ気配なし。果たして大丈夫なのか。この分だと、到着も遅れそう。
 しばらくしてやっと離陸。外は夕方から夜になっている。夜のとばりが降りて、闇の中にバンコックの街のイルミネーションがまばゆく浮び上がる。とても奇麗。

 そして、またしてもOKAKI(おかき)が配られた。SEAWEED RICE CRACKERS(のり・せんべい)と書いてあり、中身はのり巻きのおせんべいだった。隣の隣の席のインド人男性は、おせんべいののりをとり除いて、食べている。インドで海藻(SEAWEED)を食べる習慣はないですからねェー。

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ラジャスターン・砂漠の旅・6

 飛行機内では、夕食が配られる。インド・カレーのような香りがただよって来た。とうとうカレーかぁ、と思ったところで、私のテーブルの上に機内食が。その表示が、Western Vegitarian(西洋式菜食)となっていて、カバーを開けると、私だけがインド式菜食(カレー料理)ではなかった。アレレ。

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 隣の隣の人(インド人の男性)は、ななめ前方の席の奥さんと少年(2才と3才)にとても気を使っている。それがあまりにも甲斐甲斐しいので、何て出来た旦那さんかと思っていた。すると、どうやら奥さんが具合が悪そうで、それですごくやさしくしているようだった。

 あまりにも具合が悪そうなので、「あなたの奥さんは病気なのですか?」とたずねた。すると、「彼女は僕の奥さんではない」と意外な答。「へっ、それでは誰の?」 その話はこうだった。
 彼女は彼の奥さんではなく、彼の友人の奥さんで、昨日、突然、その旦那さんがタイのバンコックでタクシーにひかれて亡くなってしまった。彼らはインド人だけれど、タイに住んで仕事をしていた。
 インドでお葬式をするために、つきそって帰るところだと言う。子供達は幼く、まだ何も理解していない。美しい奥さんは、うちひしがれていた。「ということは、ご遺体は...?」と聞くと、彼は、どこかを指さした。つまり、おそらく、預けた私の荷物の隣に...。

 なんだか暗くなってしまった。彼らはデリーに着いてから車で10時間かけて、ビカネールという砂漠の街に帰るのだと言う。つき添って帰るインド人男性も悲しみと疲れがにじみ出ていたけれど、「友達は外の家族だから」と言った。私は鶴を折って、少年達に渡した。彼らはニコニコして鶴で遊んでいた。

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ラジャスターン・砂漠の旅・7

 今、日本時間では、12:00を回っている。真夜中である。今朝は4:30AMに起きたから、20時間は起きている。そろそろインドに到着。皆の平和と幸せを祈りながら、Arrive in India(インド到着)となりそうだ。

 飛行機は21:00に30分遅れで、飛行場についた。やっと到着したと思ったら、それからが大変。待つ、待つ、待つ。ものすごい数の人々が、入国審査の所に溢れ停っている。結局、入国するのに1時間30分もかかってしまう。これには本当に疲れてしまった。インドは人が多く、しかもシステムが悪い。入国審査官は、早く人をさばこうなど、そんなことは考えていない。そんな気配はまったくない。むしろ遅くしているんじゃないかと思う程。やはり、インドは忍耐が必要。インドから最初につきつけられることは、いつだって忍耐なのだ。待っていると暑い。半袖になって待つ、待つ、待つ。やっと入国して、今度は預けた荷物を探す。TG315のターンテーブルがどこにもなく、2人の飛行場関係者に聞いて、やっと探しあてる。

 カルカッタに滞在しているKOGOさん(エスラジ奏者)と、デリーで待ち合わせしていたけれど、結局2時間遅れてしまったので、どうなるのか。カルカッタからの電話では、「インドで少し太った」とやせているKOGOさんは嬉しそうに言っていたから、会うのを楽しみにしていたけれど、待ち合わせ場所には姿がなかった。
 連絡のしようもないので、どうしようかなと思っていると、向うの方から幽霊のように青白いフラフラした人が近づいて来て、「まさか」と思ったらKOGOさんだった。KOGOさんは、カルカッタからデリーに来る電車、ラージダニエクスプレスが8時間遅れて、17時間のところを、25時間かかってしまい、しかもラージダニで食べた車内食に食あたりして、ひどい下痢になり、ガリガリ、ヘトヘト、フラフラ状態だった。

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ラジャスターン・砂漠の旅・8

 車でホテルへ。ドライバーは陽気な人で、私がヒンディー語を話すと、すごく喜んで、歌を歌い、サンスクリット語のマントラも唱えて、色々教えてくれた。
 インドの首都デリーに降りるのは久しぶりで、冬のデリーは思ったよりとても寒い。ホテルに着くと、疲れもピークに達していた。KOGOさんは、下痢のため、何も食べられないし、夜も11時を過ぎて、本当は翌日のホテルの予約の電話と、無事にインドに着いたことを日本の家に電話をしたかったけれど、何とホテルの電話はデリー市内しかかけられず、国際電話と国内遠距離電話は、公衆電話( ISD < International Subscriber Dialling > STD < Subscriber Trunk Dialling > ) / Subscriber = 電話加入者、Trunk = 長距離電話 / に行かねばならず、ホテルの人が夜中にデリーの街に出るのは危険だからよせと言うので、断念。
 しかも、ホテルのレストランは、もう閉店していて、部屋でお湯を沸かして、お茶を飲んだ。結局、夜も断食のまま眠ることになってしまった。空腹で、しかも寒いので、カーディガンも着たまま、マフラーもして、帽子もかぶって、冬の北インドで布団なしというのは、かなり過酷。それでも24時間ずっと起きていたので、疲れていたせいで、やがて眠りに落ちた。

 朝、目覚めると、何時間か眠ったせいで、私はすっかり元気をとり戻していた。インド旅行にこれから出発する元気と勇気とやる気をとり戻していた。

 オートリクシャをつかまえて、マリナホテルまで行って、朝食を食べた。朝食ビュッフェは162Rs(405円)で、デリーの物価上昇に驚いてしまった。マリナホテルは、朝食を食べているインド人もお金持ちそうで、パンジャビドレスなど着ていないで、ジーンズの上下や、シャツにスラックス。
 私の方が、よほど貧乏そうだった。 アレレ。

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ラジャスターン・砂漠の旅・9

 マリーナホテルのロビーでのんびりして、タクシーを頼もうとホテル内のトラベルエージェントのカウンターに聞くと、700ルピー(1750円)と言われ、驚いて道へ出てタクシーをつかまえようと階段を降りて行ったら、ホテルの入口にいるベルボーイが「Taxiか?」と聞くので、「空港までいくら?」と聞くと、「250ルピー」と言う。さっきの700ルピーという値段はいったい何なのだ???。
 ホテルの前でタクシーをひろって空港へ。ドライバーはヒンディー語を話すと、すごく喜んで、いったいどこでヒンディー語を覚えたのかと驚いていた。

 空港でウダイプールのホテルに電話し、空港まで迎えに来てくれることを確認し、空港の待合室でガイドブックを読み、日記を書いて時を過ごす。カモミールティー(6ルピー/15円)を飲んでチェックイン。なんとON TIMEに搭乗。ウダイプールまで飛行機だと58分と、とても近い。バスや鉄道を使うと18時間くらいかかってしまう。

 搭乗すると、アメとお手ふきが配られて、サービスも上々のジェットエア。キャビンもきれいだし、機内食もおいしい。やっとインドにたどりついたという感じ。
 ウダイプールは、インド一(いち)ロマンチックな街と言われている。砂漠の中に人工湖があり、その中にウェディングケーキのような美しいレイクパレスホテルがある。王族(マハラジャ)の宮殿 がたくさん残っていて、その一部はホテルや博物館になっていると言う。到着するのがとても楽しみ。

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ラジャスターン・砂漠の旅・10

 ウダイプールの飛行場に着いて、かわいいお花が植えてある事に感激。南国に来た感じがする。ホテル(キャラバンサライ)からのTAXIのドライバーが来ていた。空港からホテルまで25Kmの距離。(タクシー代は300Rs・ルピー・750円)。快適でウダイプールは暖かいし、元気が出てきた。ホテルにチェックイン。部屋はとてもきれい。昨日のデリーのおそろしく汚い部屋とは大違い。お湯シャワーで髪も洗い、生き返った。疲れもとれて、屋上のレストランでチャイ(インド式ミルクティー・30Rs・75円・1ポット)とベジタブルパコラ(野菜の豆の粉で揚げた天ぷら風スナック・50Rs・125円)をとる。おいしい。屋上からの眺めもとっても素敵。レイクパレスが湖の中に見える。

 暖かい日差しの中で、湖を見下ろし、遠くの砂漠をラクダが歩いていくのを眺めながら、午後のひととき、チャイをゆっくり飲む。これこそ、私の望んでいたインドのひととき。自由で幸せで平和な時間。

 街の中を散歩しながら、白いパンジャビドレスを買うために、お店へ入る。マウント・アブーのヨーガセンターに行くのに、白い服が必要なので、白いパンジャビを選ぶ。インドに来たばかりで、値段の感覚がまだ日本のままで、あとから考えたら、すごくボラレていた。601Rs(約1500円)だったけれど、おそらく相場は、200〜300RSぐらいだと思う。やられました。

 砂漠の街は雨が5年間も降らず、完全に乾いていた。湖も川も干上がって、向こう岸までは橋を使って渡るのだけど、川の水が全くないので、橋まで行く必要がなかった。リクシャに乗って(10Rs=25円)、向こう岸のウダイコティへ。

 ウダイコティは美しい宮殿ホテル。人々はロマンチックにキャンドルをはさんで、そのキャンドルの火がゆらめくのを眺めながらディナーをとっていた。ウダイコティのレストランは屋上にあり、炭がおこしてあって、それで暖をとる。砂漠の夜は寒い。
 テーブルの上にはキャンドル、月も輝き、レイクパレスホテルのライトが湖の上に浮かび、水面にも映り、キラキラしている。ウダイコティの庭や調度品は上品でアート的。さすがに宮殿ホテル。レストランの食事はおいしいのだけれど、とても辛い。ミネラルウォーター(10Rs=25円)とココナッツクッキー(10Rs)を買ってホテルに帰り、ゆったりした夜を過ごす。瞑想して快適な眠りへ。

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ラジャスターン・砂漠の旅・11

 朝4:00AM、目が覚める。外の音がうるさいのと、蚊が一匹いたせいで、眠りが浅かった。瞑想してウダイプールにあるAshtanga Yoga(アシュタンガ・ヨーガ・センター)に行く。
 Ashtanga Yoga(アシュタンガ・ヨーガ)は、『ヨーガ・スートラ』(古典ヨーガのラージャ・ヨーガのテキスト)の中にアシュタンガ(八支則・八部門)という重要なパートがあり、その名をとったと思われるが、内容は別のものと考えた方がいいと思う。

 『ヨーガ・スートラ』のアシュタンガは、禁戒・勧戒・坐法・調気法・制感法・集中法・瞑想法・三昧の八部門を指す。
 現在、言われているアシュタンガ・ヨーガは、インド古来のヨーガをもとに、シュリ・K・パッタビ・ジョイス氏が新たにエクササイズを考案し、それは連続してポーズを行い、呼吸も合わせる。インド古来のアシュタンガ・ヨーガと区別するために、「アシュタンガ・ヴィンヤーサ・ヨーガ」(『ヴィンヤーサ』=呼吸と動作の同調)とも言われている。
 連続してアーサナ(ポーズ)をとることで、多くの汗をかき、パワフルでハードなヨーガとされ、古典ヨーガと違い、ダイナミックな動きが特徴で、人気のパワーヨーガのもとになったヨーガである。

 私はアシュタンガ・ヨーガを体験したことがなかったので、朝もやの中を一人歩いて、橋の近くのセンターを探して行くと、カウボーイハットをかぶったインド人が道端で、チャイ(ミルクティー)を飲んでいて、私の姿を見ると、「ヨーガセンターはそこだ」と指さして教えてくれる。しかも「私がそこの先生だ」と言ったので、びっくり。カウボーイハットをかぶったYoga teacher(ヨーガの先生)に会ったのは初めてだったので。

 生徒は私とイギリスから来たヨーガ初体験の女性、二人だった。アシュタンガ・ヨーガの先生は、私がヨーガ教師だと知って、とても嫌がり、私を無視し、イギリス人の方にだけ話をし、イヤな感じがした。その先生はヨーガの先生という雰囲気はなく、”ただのおっさん”という感じだったけれど、ヨーガアサーナが実践出来たので、「まぁ、いいか」という感想。一緒にクラスを受けたイギリス人は、「彼は、あなたがヨーガ教師だったから、すごいプレッシャー感じてたみたいね」と言った。

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ラジャスターン・砂漠の旅・12

 ヨーガをして、朝のすがすがしい空気を吸い散歩しながらホテルに戻る。幸せな瞬間である。私はこうしてインドに居て、ヨーガをし、自由と平和を実感する。大切なことは、自分の中の自由な精神と平和である。
 生きていれば色々な人と会い、理由もなくイヤな目にあう事もある。外からのことで、自分で自分の平和を壊さないこと。

 朝食をホテルの屋上のテラスでとる。ヴェジタブルトーストとチャイ。明るい日差しの中で、湖に浮かぶレイクパレス・ホテルを眺めながらの朝食は素晴らしい。しかもヨーガのあとは、体も心もほぐれている。青空の下の朝食は、こんなに開放的な感じなのだ。旅は日常生活を離れる事で新鮮な気持ちを持つ事が出来る。日々の暮らしも、そんなフレッシュな感覚で生きていきたいと思う。

 このインドの砂漠の地で、明るくまぶしい光を受け、らくだや馬が行くのを見ながら、乾いた大地を風が走り抜けていくのを感じていると、遠くまで来たことを実感する。
 たとえ日本で暮らしていても、心の範囲は広げていたい。いつでも換気のよい状態で、体と心の中を自由な風が流れているような、そんな感じで毎日を過ごしたいと、旅先で思う私だった。

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ラジャスターン・砂漠の旅・13

 朝食後、トラベラーズチェックを両替えに行く。16年前にインドに来た時は両替えは銀行で、非常に時間がかかった。しかも田舎の小さい銀行だと、「今日はお金がないから、両替できないから、明日また来い」と平気で言う。信じられない。思わず、「お金がないって・・・銀行でしょう・・・」と言ってしまう。けれど最近は、色々な場所でコンピューターが使われ、きちんと対応してくれる両替屋が増えた。ずいぶんスムーズに両替出来るようになった。

 リキシャに乗って、ウダイプール観光ツアーの申し込みに行った。ツアーは満席で、出発時刻の2:00PMまでに何人か人が増えれば、もう一台バスを増やすから、2:00にまた来いと言われて、時間をつぶすためにリキシャに乗って、ラジャスターン州政府直営店(エンポリアム)に行こうと行き先を告げると、違う店に連れて行かれてしまう。
 しかたがないので、歩いてエンポリアムまで行く。暑いし、疲れてくるし、クラクラしてくる。その店までたどりつくと、エンポリアムは定価販売とされているので、安心して買い物しようとすると、店員が色々、話しかけてくる。私の買い物は白いショールだけで、昨日、街のお店でかなりボラれてしまったので、慎重に白いショールを選び、それでも高いと思ったので、買うのをやめると、50ルピーまけてくれた。定価販売の店ということなのに、インドは本当にテキトーなのだ。

 お昼にパコラ(野菜を豆の粉で揚げたもの)とチャイをとり、バスツアーの申し込みに再び行くと、バスは満席のままで、3人のベンガル人が増えたので、私たちは、タクシーでバスツアーと同じ料金で、ツアーに行くことになった。運転手とベンガル人は英語が通じず、ガイドもなしで、いったい、どこに観光に連れて行かれるのかわからない状態。またもや過酷なことになってきた。

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ラジャスターン・砂漠の旅・14

 アンバサダーのタクシーで、助手席に2名乗せられ、運転手の運転は荒っぽいし、道はほこりっぽいし、ドライバーと後部座席のベンガル人は、ヒンディーソングを歌っている。しかし、ドライバーは、ひっきりなしに強烈なインドのお香をたいていて、息苦しい。

 最初に着いたのは、郊外の古戦場。その古戦場から、山道をらくだに乗って登っていく。らくだは乗るときが大変。らくだがまず、前足を折り曲げ、そして腰を降ろす。そこにまたがって、らくだの背中のコブの間に座る。そして、らくだは足を伸ばして、ぐっーと腰を上げる。その高低差がすごくて、「ギャー」と驚く。かなり高い。
 歩き出すと、眺めがとてもよい。ときどき砂が風に舞い、砂漠の乾いた匂いがする。日差しが照りつけ、まぶしい。山道をあがっていくと、遠くの街が眼下に見えてくる。らくだに乗って歩いて行くと、「月の砂漠」みたいで、幻想的な感覚。けれど、らくだに長時間乗るのは、らくじゃない。「らくだは楽だぁー!」と言ってもいられない。

 次に行ったヴィシュヌ寺院は、ちょうどお祈りの時間で、人・人・人であふれ、15分間しか開かないお寺の中を人が埋め尽くし、そのプージャ(お祈り)にさっとうし、まるでラッシュアワーのよう。私はもうめちゃくちゃに押しつぶされ、人の波にもまれ、あっちこっちに人の波に流され、圧迫死するのではないかと危ぶまれるほど。インドのプージャは体力勝負? なんだか不思議なインド人の信仰心。

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ラジャスターン・砂漠の旅・15

 陽が落ちて、暗くなっていく道を最後の場所、シヴァ寺院に向う。ヒンドゥー教には多くの神が存在しているが、その中でも重要視されるのが、ブラフマー(梵天)、ヴィシュヌ、シヴァの三神で、ブラフマーは世界を創造し、ヴィシュヌは世界を維持し、シヴァは世界の破壊者という役割を持つ。

 シヴァは二面性を持ち、神秘的な静寂のなかに瞑想し、その一方で、ナタラージャとして、カイラーサ山(ヒマラヤ山脈にある)の頂きで、世界の創造と破壊を踊る。
 シヴァ寺院に着くと、51の寺院が闇の中に浮かび上がり、満月に近い月が闇夜に輝き、古い寺院群の彫刻が素晴らしい。今日一日の過酷な観光ツアーも来ただけのかいがあったと、最後の最後に思う。疲れもふっ飛ぶ感動的な寺院。夜だからこそ、静寂が寺院を包み込み、神秘的な雰囲気。

 ツアーは終了。リキシャでAmbrai(アンブライ)レストランへ。ハヌマンガートを過ぎて、向う岸にある、レイクパレス・ホテルが美しく見渡せる。岸の端にある水面のレストラン。炭が焚かれていて、とてもいい雰囲気。砂漠の夜は寒い。クリスマス・イヴなので、レイクパレス・ホテルで湖上花火をあげている。
 チョウメン(インド風焼きそば)、野菜カレー、チーズナン、ライムソーダ。お料理、サービス共にVery Good。ホテルに戻り、熟睡。

 12月25日(土)朝早く、ピチョーラホテルに移動し、RTDCの市内ツアーに。昨日のツアーは突然タクシーになり、タクシーの方がお得なのかと思いきや、バスの方が10倍快適。ガイドの説明あり。庭園、シティパレス、寺院と巡り、途中でツアーを離れて、お昼を食べにレイクパレス・ホテルへ。ボートに乗って向う岸に渡り、何とも優雅な気分。

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ラジャスターン・砂漠の旅・16

 ガイドブックによれば、ウダイプールは、ラジャスターン州で最もロマンチックな街。1568年にウダイ・シン二世によって見いだされ、美しいPichola(ピチョーラ)湖も、王・ウダイ・シン二世によって造られた。その人工湖は4X3Kmの大きさで、その湖の中に、宮殿が建っている。

 インドにはその昔、たくさんの王国があった。それらは、王(ラージャ)が治めていて、マハーは「大きい」という意味で、マハーラージャは「大王」または「偉大な王」という意味で、民衆からも尊敬・支持される立場にあった。
 1858年、インドはイギリス王国の直接統治下になった。イギリスはインドを二分し、大英帝国による直接支配地と、藩王による自治の藩王国に分けた。インド独立のとき、マハーラージャ制度は廃止され、マハーラージャは次々に没落した。
 そんな中で、王家は自らビジネスをして保身せざるを得なくなる。そこで広大な宮殿を博物館やホテルにして、観光の拠点として成功する藩王(マハーラジャ)も存在する。
 ウダイプールもマハラージャが治めていた宮殿があるけれど、現在はその宮殿は博物館やホテルとして一部公開されている。

 シティーパレスはピチョーラ湖の岸にあり、ウダイプールで、ラジャスターン州で最大のパレスと言われている。一部がパレスミュージアム(宮殿博物館)となっていて、宝石が散りばめられた部屋や美術品があり、豪華一色である。
 シティパレスを見学していたとき、日本人に声をかけられた。その方達は、ツアーでインドに来ていて、10年前に立川で、アジア音楽のコンサートがあり、そのときの主催者側の担当の方とその奥様だった。私たちはそのとき、インド音楽を演奏した。その方達は、ピチョーラ湖に浮かぶレイクパレス・ホテルに滞在していて、部屋に呼んでくれることになった。レイクパレス・ホテルでランチブュッフェを食べて、その方達のお部屋にお邪魔した。日本で10年も会っていない方達とインドで再会するとは、とても不思議な気がした。

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ラジャスターン・砂漠の旅・17

 ヨーガでは「必要なときに必要な人は現れ、必要なときに必要なものは与えられる」と言う。私はピチョーラ湖の岸にある自分の滞在しているホテルから、レイクパレスホテルを眺めて、いったいどんなホテルなのだろうと思っていた。けれどインドでは高級ホテルから予約はいっぱいになると言われるように、インドの五つ星ホテルや超有名なホテルは何ヶ月も前から予約が必要で、しかも何万円もして、日本のホテルよりも値段が高い。泊まる気にもならず、ランチだけ。ホテルはとてもキレイでサービスもさすがに一流でゆったり優雅な気分になった。私の服が高級ホテルに行くには、ボロだったけれど。ランチはインド料理はもちろん、イタリアンからメキシカンまで、味もgood。湖に浮かぶホテルは雰囲気も明るく開放的。

 人はどうしたら、自分を解放していくことが出来るのか。いつの間にか日常生活、社会生活、世間の中で自分で束縛を作り出し、その束縛の中で、息苦しくなっている。
 旅はそれから解放されるけど、日常生活でも私たちは自分たちを束縛から解き放たなければならない。10年ぶりにシティパレスで再会した日本人ご夫妻の部屋に招待され、しばし談笑。

 ボートに再び乗って、クリスタルギャラリーに行く。300ルピー(RS)(約750円)払って中へ。この値段はインドにしたら破格の高さで、外国人値段もここまで来ると、”いい加減にして”という感じである。
 中に入ると、まばゆいクリスタルの照明が天井からさがっていて、その巨大さに驚かされる。

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ラジャスターン・砂漠の旅・18

 クリスタルギャラリーでアフタヌーンティーを楽しむ。湖の向こう側に夕日が沈んでいく。湖と宮殿がオレンジ色に染まっていく。
 市場に行き、美しいスパイス屋さんがあったので入ってみる。色々なMASALA(マサラ)=スパイスを売っている。ヨーロッパ人の女性が、お店の中で、店員に「MASALA(マサラ)って何ですか?」と質問している。店員はていねいに「MASALAはミックスされたスパイスです」と答えた。なので私は、「インド映画のことをマサラムービーって言いますよね」と言う。すると店員はとても喜んで、「そう、そう。インド映画は音楽あり、踊りあり、笑いあり、アクションあり、涙あり、ロマンスあり、何でもありで、それをミックスしているため、マサラムービーと言うんです」と言った。
『カシミールティーセット』と言う、チャイを作るときのMASALA(スパイス)を買う。その中には、シナモンスティック、カルダモン、クローヴ、サフランなどが入っている。MASALA Chai(マサラチャイ)はスパイス入りのチャイ(ミルクティー)のことである。

 インドの街中や市場を歩いていると土ぼこりがしたり、車の排気ガスもあるので、リクシャに乗るときはマスクをしていると、インド人がじろじろ見る。ホテルの近くまで帰ると、もうすでに顔見知りのインド人がマスクをしている私を見ると、「いったいどうしたんだ。ケガでもしたのか?」と心配そうに声をかけてくる。「あぁ、これ、何でもないよー」とビョーンとマスクをひっぱてみせると、びっくりして大受けしている。インド人はマスク知らないのだろうか?

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ラジャスターン・砂漠の旅・19

 暑いお風呂につかって、眠りにつく。ぐっすり眠った。朝起きると、部屋に朝の日差しがさし込んでいた。ヨーガをして、湖を見渡せるベランダで朝食(チャイ・サンドウィッチ・フライドポテト)をとる。

 午後にアブー山に向けて、バスで出発する予定なので、午後までゆっくり。本を読んだり、ノートしたりしてゆったり過ごす。こののんびりした感じが嬉しい。今日は12月26日、日曜日で、子供達が広場で遊んでいる。なんとなく、すべてがのんびりしている日曜日の雰囲気。お昼はウダイコティで、ほうれんそうのスープと、野菜フライドライス(焼飯)。日差しが強烈で暑かった。砂漠は日差しが出ている所は暑く、部屋の中は涼しい。朝・晩は寒い。

 ウダイプールは、のんびりしたよい所だ。別に何をするでもない、ゆったりとした時を過ごす。それはいいことだ。何もしない贅沢(ぜいたく)という感じ。人生そういう時間があってもいい。静かな気持ちで、湖と宮殿を眺めている。牛が草を食んでいる。親子連れのインド人が日曜日の午後を楽しんでいる。

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ラジャスターン・砂漠の旅・20

 ウダイプールのバススタンドまで、オートリクシャ(30Rs=75円)で行く。2時30分に着いて、バスは3時に来たけれど、出発したのはそれから45分後だった。インドはいつだってこうなのである。理由は乗客が来なかったから。45分も遅れて来たのだ。それを待っているのも不思議。もともとインドには、時間通りという観念がないのだろう。

 5時間かかって、8時45分にアブー山に着いた。外はまっ暗になっていた。バススタンドで、2日後のジョドプールまでのバスチケットを140Rs=350円で買う。
 マウントアブーは、タクシーやリクシャはなく、ジープが交通手段で、ジープ(30Rs=75円)でホテルまで行く。ホテルに着いたのは夜の9時だった。遅い夕食を食べて、シャワーをあびる。ここは山なので、高度が高く平地よりかなり寒い。ホテルは湖に面していて、暗闇の中に、静かな湖がうっすら見える。ホテルのオーナーは親切な人で、この部屋は窓から釣り糸をたらして、釣りが出来る特別な部屋だと言った。別に釣りはしないから、それが特別、特典とも思えないけれど、眺めのいい、静かないい部屋である。

 ただしマウント・アブーは寒い。冬のインドで寒さに震えているとは、意外な展開。しかも、この日、大変なことが起きていた。12月26日、スマトラ沖大地震が起きたのだった。私が旅していたのは西インドなので、揺れも感じなかったし、周りの状況も何の混乱もなかった。
 けれど知らない所で、大変な状況が展開していた。しかも知っている人が、スリランカでその津波に巻き込まれているなど、その時は知る由もなかった。

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ラジャスターン・砂漠の旅・21

 朝、起きて、シャワーを浴びて、白いパンジャビドレスを着て、オーム・シャンティ・マドヴァンに行く。朝4時のナッキー湖は、まだ暗闇の静寂の中。高地の澄んだ空気。朝靄(あさもや)の白い世界は、まだ眠りの中。誰もいない。何も動いていない。ヨーガで言う所のサットヴァな時間。サットヴァは平和で幸せで軽い、光に満ちた聖なる性質を示す。朝4時、サットヴァな時間は、世俗の欲が動き出していない、清浄な時間。人々も目覚めたばかりで、世俗にまぎれていない、純粋な意識の状態。瞑想やヨーガや聖典の勉強に適した時間を、日の出前の朝4時から6時としている。

 オームシャンティに向かう道は、ホテルからナッキー湖のほとりを歩き、右方向に曲がり、山道を登っていく。坂道を登って行くと、白い服を着たインド人男性に声をかけられる。オーム・シャンティに行く人達は、白い服を着ているので、私もそこに行くことがその人にわかった訳で、私もその人が、そこに行く人だとすぐにわかった。
 誰もいない山道で、声をかけられるのは不安だけれど、その人が白い服を着ていたことで、オーム・シャンティに瞑想しに行く人だとわかったので、まったく不安もなく、かえって、この道でいいのだと思って安心した。そのインド人は英語は話せない人だったけれど、私がヒンディー語で話すと、喜んで、いろいろ話をしてくれた。やさしく静かな笑顔が瞑想者だということを表していた。

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ラジャスターン・砂漠の旅・22

 オーム・シャンティに白い服を着たインド人男性と話しながら、歩いていく。彼はレセプション(受け付け)まで連れて行ってくれた。レセプションの人にヒンディー語で自己紹介して来意を告げると、その人は、
「あなたはカトマンドゥから来たのか?」と聞いた。私はネパール人と間違えられたのかと思い、日本人で日本から来たと言った。カトマンドゥはネパールの首都で、何だか話が変。なんとなく迷惑そうな感じ。誰かと間違えられているようだ。

 ヒンディー語と英語でしばらく話していると誤解も解けたようで、なごやかな空気になった。オームシャンティは突然の来訪者は受け入れていないようで、私は、
「私のプライベートの瞑想の先生がここに滞在しているので、できれば会いたい。オームシャンティに着いたら、レセプションを通して連絡してもらうように言われて来た」と言うと、電話を入れてくれた。

 電話に出た人は、知らない人だったけれど、YOKOさん(私の先生)は、ホールで講義を聞いているから、そこまで来て下さいと言った。電話を置くとレセプションの人は頬笑んで、
「それで連絡はついたかな。それで、彼女は何と言った?」と聞いた。私は、
「ホールに来るように言われましたので、行きます。有り難うございました」と感謝すると、レセプションの人は、また怪訝な顔をした。
「ホールはどこですか?」と聞くと、
「彼らのいるホールは、ここから4Km離れている」とその人は言った。
『えぇ〜〜』私は驚いてしまった。その人はチラッと時計を見て、
「んー。オーケー。私が車で送ってあげよう」と席を立って、私に連いて来るようにうながした。さすがに4Km歩いて行けそうもなかったので、その方の後ろを連いていくことにした。

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ラジャスターン・砂漠の旅・23

 レセプションを出て、ユニバーサル・ピース・ホールという建物を左手に見上げながら、奥に進むと、車の置いてある駐車場があり、その車に乗るように言われた。ドライバーとレセプションの人と私が乗ると、車は走り出した。
 レセプションの人がいなくなってしまったけれど、いいのかなぁと言う思いと、車で送ってもらえて有難いという思いと、でもどこに行くのだろうという思いと、ホテルからここまでは歩いて来れたけれど、その4Km離れた所まで行くとすると、帰りはどうなるかなぁという思いが色々浮かんでは消え、
『もう、こうなったら、成り行き、おまかせ状態』と、窓の外の山道を見ていた。

 車はどんどん山道を奥へと入り、街からどんどん離れ、奥深い場所へ。いったいここはどの辺なのか。アブー山の地図を頭の中に思い浮かべるけれど、方向の見当もぜんぜんつかめなかった。なんだか熊でも出そうな所だ。レセプションの人はドライバーに、
「この日本人はヒンディー語を話すんだよ」と上機嫌で、私のこれまでのインド滞在の詳細を聞きたがった。やさしいおだやかな人だった。やはり、瞑想者という感じ。

 サロワギャーンという場所に着くと、白い服を着た人達が静かに歩いていた。ホールまで案内してもらい、その人は、
「あなたはとてもラッキーだ」と言って、去っていかれた。私は合掌して感謝を表し、ホールに入って、YOKOさんを探した。ホールは全員が白い服を着ていて、まぶしいくらいだった。
 舞台の中央に大きなババの肖像が飾られていて、講義が行われていた。空いている席に座って、講義に耳を傾けた。
「純粋でいなさい。時間を無駄にしないように」という話だった。

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ラジャスターン・砂漠の旅・24

 外の世界からそこに来た私は、自分が俗なる世界から、そこに来た迷える来訪者という感じがした。そこは皆、知識と瞑想を学ぶためだけに滞在し、外の世界とは遮断されていた。全員が白い服を着ていることも世俗の垢に汚れていない雰囲気を創り出していた。

「純粋でいなさい。時間を無駄にしないように」

私は痛かった。その言葉が私をぐさっと刺した。旅は移動の時間が長く、時間を無駄にしていた。ここの人達はここだけに滞在し、朝から瞑想と知識の勉強だけに時間を過ごしている。皆、静かで平和で落ち着いていて、幸せそうだった。単なる旅行者を受け入れないというのも、その人達の真摯な態度を保てる空間をきちんと確保している要因だと思う。静かな環境が奥深い体験を与え、瞑想を深める場所になっている。

 YOKOさんに再会し、レセプションでのことを話すと、いろんな疑問が解けた。カトマンドゥから来た日本人の女性が居て、本当はそういう個人的旅行者を滞在させたりはしないのだけれど、直接来て、滞在させて欲しいと押し通して、その対応にちょっと戸惑った経緯があったらしい。そのことが、噂になっていて、私がその人と間違えられたという訳だった。
 私の電話に出た人は、私がここのレセプションに居ると勘違いし、4Km離れたマドゥバンのレセプションに居ると思わなかったので、ホールに来て下さいと、軽く言ったという訳だった。ここのレセプションとホールは3分の距離だった。

 何はともあれ、よくたどり着いたと、YOKOさんも喜んでくれた。

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ラジャスターン・砂漠の旅・25

 近くのホテルを捜して、移ったらまた来ますと告げて、バスに乗ってオームシャンティに戻った。レセプションの人に再び会って、マドゥバンを案内してもらった。皆、白い服を着て、静かに平和そうに、内面を見つめて生活しているようだった。

 まずはチャイを飲みなさいと言われ、食堂へ。それからホールや瞑想室を見せて頂いた。
ここでは人々は自分自身を永遠の精神の光として瞑想し、忙しく動き回る心を静め、コントロールし、瞑想により心を崇高な魂と結びつけるべく、日々を送っています。

 喧噪から離れ、人々は自分の平安を見いだしたいと、静かに自分に向き合う。意識の束縛から解放され、平和と自由を獲得する。それは容易いことではないけれど、誰もが憧れる境地である。
 涼しい風が吹いている。自然の中で、もうそれだけで満たされている。何を求めているのか。何を得ようと必死になっているのだろう。もう十分なのに。自分は永遠の光だと言うことだけで。それなのに、外の世界へさまよっていってしまう浅はかな自分。

 ホテルに戻り、朝食を食べて、街に出かけた。オームシャンティの博物館に行き、その考え方や成り立ちの説明を受けた。それから歩いて、寺院に行った。そこで会ったヒンディー語で話したインド人が、車でオームシャンティの庭園に行くから乗るように言われ、街からかなり離れた所まで行ってしまった。
 オームシャンティのババの庭園と呼ばれている所は、花々であふれていた。澄んだ空気と青空。瞑想室では瞑想の説明のビデオが流されていた。

 予定していなかった西インドで一番高い場所・シャトガールまで行くことになってしまい、成り行きとは言え、アブー山に来た目的から、どんどんずれている。11世紀に建てられたジャイナ教寺院・ディルワラ寺院は、あまりにもすばらしい白い大理石の建物で、その美しさに圧倒されてしまう。
 微細な彫刻が純白の大理石の柱や天蓋にほどこされ、人間技とは思えない宗教美を示している。そこでも瞑想している像に出会うことができる。人々は古代から悟りを目指して修行していたのである。

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ラジャスターン・砂漠の旅・26

 ジャイナ教のディルワラ寺院の美しさに打ちのめされた私は、人間の創り出す物のすごさに驚いた。しかしそれは果てしがない。これも人間を苦しめる欲の一つなのだろうか。けれど人間の中には神聖な美に心打たれる、そういうものがあるように思える。『真・善・美』に無条件に心打たれる純粋性がある。

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 ディルワラ寺院を出て、ビカネールHOUSEでサンドウィッチを食べ、お茶を飲む。そう言えば、この旅はサンドウィッチばかり食べている。あとは、いつも断食状態。
 再びバスに乗ってギャーンサロヴァに行く。ホールでは講義が行われていた。津波の被害のことも報告され、救済のためのボランティアのことなども話していた。オームシャンティの支部が南インドにもあって、建物が津波の被害にあったということだった。
「ともかく良い想念を送って下さい。突然亡くなった方々の魂は、浄化されないうちに身体を離れてしまったかもしれないので、良い祈りの念を送るように」というような話の内容だったと思う。

 講義では、「時間を無駄にしないように」という主旨の話があり、今日一日、外の世界を見ていた私は、「時間を無駄にしてしまった.....」と思った。
 オームシャンティ(ギャーンサロヴァ)で夕食をとり、瞑想室で瞑想し、バスに乗り、夜道をホテルまで戻った。

 私の中に声が聞こえていた。「なぜ、ここに来ない。なぜ世俗にまぎれる」
私は混乱していた。すべてはわかっていた。私に必要なことは瞑想だけだということが。
なぜあの美しい白い純粋な所に存在しないのか。大切なことは、スピリチュアルな真実を理解し、平和に到達すること。

 ホテルで、津波のことがテレビで流れていた。まるで地獄のような光景。けれど、地獄は私たちの心の中にあるのかもしれない。瞑想して、眠りについた。

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ラジャスターン・砂漠の旅・27

 朝4:30に起きてシャワーを浴びて、白い服を着て、まだ暗いインドの道を歩いていった。
朝もやに浮かびあがるニッキー湖は、シャンティ(平和)な朝に美しい姿を見せていた。ここは山に囲まれ、その山々が湖に映る美しい清浄な所である。だからこそ、オームシャンティがこの場所にヘッドセンターを創ったのだと思う。

 少し坂になった道を登りながら、湖を左手に、やがて右に曲ってオームシャンティホールへ。そこはMeditation Hall(瞑想ホール)で、朝5:30では、時間が早過ぎて、まだ開いていなかった。ゲートの所に居る人がちょうどゲートを開けに来て、ホールにはまだ入れないから、瞑想出来る小さな部屋に案内しようと言って、親切に連れて行ってくれた。ここの人は本当に静かで、落ちついていて、白い人。
 私は白い小さな部屋に案内してもらい、静かに座った。バップダダの大きな写真が照明にてらされていて、とても美しい。

 皆、物音ひとつ立てずに、沈黙の内に座っている。私は、時計をスーパーのビニール袋に入れて持っていて、持ち物はそれだけだったのだけれど、その時計が5:30に目覚ましのアラームが鳴ってしまい、びっくり。ここの静けさを壊してしまった。なんともマヌケなこと。しかも、このインドの地で、持っている物がスーパーの袋に入れた目覚まし時計だけだなんて。
 それでも静けさは、またすぐに戻って来た。白い壁、白い服の人々、写真以外、白一色。私も白い純粋な人になりたいと思った。心を白くして、体を白くして、頭を白くして。実際、今、私の頭の中はまっ白で、持ち物は白いスーパーの袋だけだったけれど。
 けれど、ホテルに戻れば、また荷物を背負って、色のあふれた町へ戻っていく。

 6:30にオームシャンティホールに瞑想に行った。人はほんの数人だった。ステージの上に男女二人が座っていた。美しい光景。しみ1つない白い服を着て、しっかり不動のまま、静かに深く座っていた。その力強さと深さと静けさに心打たれた。
 7:00を過ぎて、ホールを出て、ホテルへ帰った。着がえて、食事をとって、仕度をして、タクシーでバススタンドまで行った。

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ラジャスターン・砂漠の旅・28

 めずらしく体調がよくなかった。体力がなくなっていたのは、食べる物と量が極端に少なかったせいだと思う。栄養失調で免疫力が落ちたのと、過酷な移動に加えて、夜眠るときに寒いこともあった。
 しかも否定的な感情が私を支配していた。つまり外の世界は地獄であるという感情。外の世界を観て、外を移動しても、世俗の活動は、混沌と苦しみをひき起こすだけではないのかと。

 12月26日、クリスマスの翌日に、Asian Tsunami(アジアの津波)が起きた。スマトラ沖地震によるものらしい。死者の数は、どんどん増えている。<その後、22万6194人と発表される。2005年6月発表。行方不明者を含む> インドネシア、スリランカ、インド、タイ、ミャンマー、モルディヴ、マレーシア、バングラデシュ、アフリカ東部地域に及ぶ、大惨事である。
 もし、今回、西インドではなく、南インドに行って、ビーチに居たら、私もTsunami(津波)さらわれていたかもしれない。それを誰が知ろう?それは運命なのか?運命のお導きは、どこから来て、どこへ行くのか?

 今回、旅行者もたくさん命を落とした。旅に出て、リゾートのビーチで、突然の波にさらわれて、生命を一瞬の内に波にさらわれてしまう。もう帰らない。それはいったいどういうことだろうか。しかも、神聖なクリスマスを終えた次の日に。きっと、皆、クリスマスを嬉しい気持ちで旅先で迎えていただろう。皆、善良な人達だったに違いない。
 きちんと働いて、そのお金で、リゾートに来た人達。または、その地で懸命に生きる人々。その多くの人達が、いっぺんに波にのみこまれてしまった。

 私達の人生は、いつも波のまにまに、たださまよっているようなものである。その波にうまく乗ってぷかぷか行くのか、あるいは、突然波にのまれてしまうのか。それは誰にでもおこりうる運命のいたずら。日本人で津波にまき込まれて死亡した人が39人。行方不明3人。
 私も今は生存しているけれど、いったいどこへ行こうとしているのか。自分を見失いそうだった。

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ラジャスターン・砂漠の旅・29

 Mt.アブーのバススタンドで、バスに乗る。あまりにも汚いバスで、驚きと同時に失望が.....。これはデラックスバスだと言うのだけれど、バスの窓にさがっているカーテンが見たこともない程、汚い布。これがこの世に存在する布なのかというぐらいの汚なさ。いったいこのカーテンは、本来何色なのか、全然わからない。汚れたぞうきんを窓にぶらさげているような感じで、それが風に揺れて、私の顔にあたるので、耐えられない。この状態で、6時間もバスに揺られて行くのかと思うと、憂鬱になった。

 インドの旅は時に過酷で、特に体調を崩した時など、「こんな旅、耐えられない。こんな旅、早く終えたい。どうして、私はお金を払って、時間を使って、こんな過酷な旅をしているのか。いったい、これはどういうこと?」と叫びたくなってしまう。
 結局どこへ行っても、何を見ても、何を経験しても、それは虚しいことではないか。私はこの人生で、何を見たいのか。どこへ行きたいのか。何を経験したいのか。たとえば、色々な所へ行く。地球の果てまで。色々なものを見る。地球の果てのものまで。けれど、それは、いったいどういうことなのだろう。
「私は行きました。そこ? 行きました。どこ? そこですか? 行きました。私は見ました。すごいものを。美しいものを。崩れたものを。悲惨なものを。それで?」

 私は今、わかるのです。私がすべきことは、純粋な道を行くことなのだと。人々は、この世俗の世界で、どん欲に生きています。私がのぞむ生き方は、静かな生き方です。俗から離れ、ゆったりと落ちついて、何ものにもこだわらず、わずらわせず、静かに目を閉じて、心を内側に向けて、深く生きる。この人生の意味をつかみとりたい、そう思うのです。

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ラジャスターン・砂漠の旅・30

 悲惨なバスの旅は6時間に及び、汚いカーテンとの格闘にも疲れ、ジョドプールに着いた時は、声もかすれていた。カルニバワンというホテルにリキシャで着いて、部屋に荷物を降ろしたときは、へとへとになっていた。
 食欲もあまりなく、ベジロールとスープを頼んだけれど、なんとなく元気が出ない。その日は、お風呂につかって(ぬるいお湯だけれど)早く寝ることにした。

 次の日は、瞑想して、ヨーガをして、気をとり直して、ジョドプールの街へ行って見ることにした。ジョドプールはブルーシティーと言われ、街がブルー(青色)なのである。
 メヘランガル宮殿に行ってみることにして、ホテルからリキシャで50Rs(ルピー)。<約130円>
けっこう、それは遠く、峠にそびえ建っていた。見はらしがとてもよく、見下ろす街がブルーに見える。ウダイプールはホワイトシティーと言われていたけれど、このジョドプールは、家の壁がブルーに塗られていて、街全体がブルー色に見えて、美しい。

 メヘランガルは宮殿というより、ジョドプールの王族(マハラジャ)によって所有されている城で、その大きさは巨大である。メヘランガルから旧市街を見下ろすと、一番よくブルーシティーが眺められるらしい。伝統的には、ブルーは、バラモンの家をあらわしていた。見た目には、涼しく感じられる。
 城はヘッドホーン付きの説明ガイドがあり、その機械を借りて、番号に従ってガイドを聞きながら進んで行く。各国語(英語、ドイツ語、スペイン語など)のガイドがあり、日本語まであったので、びっくりした。

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ラジャスターン・砂漠の旅・31

 メヘランガルの城の中に、手相見がいた。手相はインドが発祥らしい。そう言えば、インドは占い大国だった。占星術もさかんで、宮殿や城には、おかかえの占星術師が居るらしい。日本で占いの所へ行くことのない私だけれど、インド発祥という手相を体験してみることにした。手相見を英語で、Palm readingという。占星術師ミスター・シャルマは30年以上の占星術の修行をつんだ人だという。

 メヘランガルの城の中庭みたいな空間にある一室に手相見は座っていた。すでに、西洋人女性2人が、見てもらっていた。外の階段に腰かけて待つことにする。なにやらクスクス笑い声が聞こえて、それは当たっているということなのか。若い西洋人の女性はときおり、はずかしそうに手で顔をおおったりしていた。
 外に看板が出ていて、インド人観光客も興味を示すけれど、手相見の値段を見てインド人もびっくり。ショートが150Rs(ルピー)、詳しくが300Rs(ルピー)で、日本人の私もびっくりする値段。完全に外国人値段である。

 インド人は「150Rsルピー」と声をあげて、去って行く。私も高いと思ったけれど、日本の手相見とどう違うのか。興味が勝って、見てもらうことに。結果たいしたことはなかった。ふつうに手相を見て、「82歳ぐらいまで長生きする。健康は問題ない。性格は慎重。仕事は問題なく良い。特に47歳の時が、仕事運が良い。考え方の違いはあるにしても結婚も別に問題ない。アレルギーがあり、胃が弱いが基本的には、健康である。するどい洞察力と直感があり、人にやとわれるよりも、自分でクリエイトした仕事をしたいと思うタイプ」と言った。

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ラジャスターン・砂漠の旅・32

 城壁から旧市街ブルーシティを眺めながら思う。手相に人生が表されているとしたら、人の運命はそこに表されているのか。20数万人の人々が津波により人生の終止符を打たざるを得なくなった。スリランカでは日本人のヨーガのグループのツアーが津波に巻き込まれた。その人たちの手相の生命線にそのことはすでに刻まれていたのだろうか。私は自分の生命線を見た。82歳ぐらいまで長生きすると言われたけれど、私自身はいったい何歳まで生きたいと望んでいるのだろう。

 リキシャでウメイドバワンまで行く。ウメイドバワンは宮殿で今もなお王族が住居として使用している。一部は博物館として,一部はゴージャスなホテルとして一般に公開され利用可能になっている。広い庭園を臨むレストランでお茶を飲んでサンドウィッチを食べた。お天気もよく,眺めも良かった。庭園では結婚式の準備がされていた。花で埋め尽くされた会場、なんとも豪華、ぜいたくである。インド人は結婚式にものすごいお金を費やす。娘を持つ父親はその持参金をつくるのに苦労するらしい。結婚式には、長い列をなす楽団、花婿を乗せた象が登場したり、まるでお祭りの様な大仕掛けである。

 その日、砂漠の街ジョドプールに雨が降った。乾季の砂漠で雨が降るとは驚きである。私の声はかすれたままで、ホテルのスタッフと話すのも筆談。ヒンディー語でノートに言いたい事を書くと、ホテルの人はなんでもすぐにOKしてくれる。声が出ない旅行者を気の毒に思っているようだった。

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ラジャスターン・砂漠の旅・33

 ジョドプール/ブルーシティで何もせずに過ごす。”何もしない”というのは旅行者には意外に難しいことで、ひたすらあるきまわったりしてしまうもの。ホテルで静かにしている。どこに行くでもなく、何をするでもなく。せっかくの休暇を遠くまで来て”何もしない”なんて、なんて無駄な馬鹿なことをしているのか。お金も時間も体力も使ってこんなに遠くまで来て,”何もしない”なんて。けれどこの“何もしない”ということが意外に難しいのだ。人は“何かしたがる”から。私はなぜか声も出ず、静かにしている他はなかった。

 人は古代から静かに瞑想して来た。そして人生を洞察した。旅に出て、夜ホテルで静かに過ごしていると,人生について考える。人生では多くの出会いや発見や学びがある。けれどそれと同じ様に失うものもある。けれどその一方で,自分の中に失う事のない何かを見いだす気がする。だからこそ私達は色々なものを所有し、また喪失しつつも生きていけるのだと思う。失う事で新しいドアが開く事がある。手放す事。受け入れること。恐怖からの解放が必要である。人は変化を恐れる傾向がある。新しいドアを開けたいのだけれど、そのドアの向こう側に何があるのか恐くて一歩が踏み出せない。踏み出してしまえば、どうってことなかったと思うのだけれど,新しいドアの前で立ちすくんでしまう。恐怖を突き詰めて行くとその先には”死”がある。死の恐怖がある。誰もが死ぬ運命にあるから、誰もが恐怖心を持っている。けれど人は氏の恐怖が目の前に来ると,それ以外の人生における恐怖はすべて消えると言う。

 人生を思う様に生きるためには先ず恐怖を手放す必要があるのかもしれない。

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ラジャスターン・砂漠の旅・34

 2004年最後の日に、ジョドプールからジャイプールに移動することにした。ブルーシティーからピンクシティーへ。ジョドプールは旧市街の家々の壁がブルーに塗られていてブルーシティーと呼ばれていた。ジャイプールは砂岩の色がピンク色で、建物が砂岩で建てられているのでピンク色になり、ピンクシティとれ言われている。

 朝5時半の電車なので、5時にジョドプールの鉄道の駅に行った。周りはまだ薄暗かった。駅構内は、足の踏み場が無い程、無数の人が寝ていた。地面に毛布に頭までくるまって寝ているたくさんの人。異様な光景だ。私はいつもインドの駅で自分を見失いそうになる。自分の中の”駅”という概念が壊され、その他の私の中の概念も揺すぶられるからである。人は無数の概念を持ち、言ってみればたくさんの概念を身にまとって生きている。それがとりさられると、はぎとられると、まるで、何も着ていない裸の自分。

 熱いチャイを買って飲んで自分をとりもどす。素焼きのカップに入っていてかわいい。電車はA/Cチェアーカーで快適だった。隣の席のおじさんは挙動不審で不気味だった。その人は切符を持っていなかったらしく、車掌に他の席に移動させられていた。A/Cチェアーカーは、エアコン付き車両で、窓は開かないし、くもりガラスで外の風景は見えない。暗かった空がだんだん明るくなるのはわかるけれど、外の景色を楽しむことは出来ない。チャイ売りやコーヒー売り、サンドウィッチ売りが停車駅になると乗り込んで来る。「チャイ、チャイ、チャイ」と言う声や「カフィー、カフィー、カフィー(コーヒーのこと)」という声がして、これがインドの声だなあーと懐かしく思う。

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